困難から逃れられたよね…
今日はお世話になった方に不幸があり、
家族でお通夜に参列しました。
その道中、故人の方の話をしていると
娘が
「亡くならして寂しいけどさ、
○○さん、きっと困難なことから逃れらしたよね!」
そんな事を言ってきた。
詳しく聞くと
「もうツライ事から解放される」
という風な事を伝えたかったようだ。
ふと、数日前の会話を思い出した
「お母さん、自殺したいと思った事ある?」
突然、小3の娘に聞かれた。
私「あるよー」
娘「そーなんだ…」
私「そう思うことあると?」
娘「うん」
私「あったんだねー、
ちなみにいつごろ?」
内心とてもドキドキ…ザワザワ…
娘「ほら、2年生の時。
悩んでたやろ?あの時」
-お友達との事で涙することがあった-
あの頃は
とことん話を聞いたり、
励ましたり、視点を広げてあげたり、
結構な時間対話してたな。
その時は「自殺」なんて言葉は
1度も出したことなかったけれど、
まだ知らなかったからなのかも。
「自殺」という言葉を知り、
情報が入ることで
あの時の自分の逃げたい感情や
どうにもできないもどかしさを
全て失くしたいという事が
「自殺」で解決できるかも知れないと
思うようになってきたある意味成長と
言えるのかも知れない。
私も小学校4年生か5年生の頃
母親に向かって
「もう死にたい」と泣きながら言った過去の
思い出がある。
その時にどうしてそんな感情になったのか
きっかけとなる出来事は思い出せない。
だけど、もう生きてる限り味わう
「悲しい、ツライ、惨め、ショック、裏切り」
から逃げたかったような事はぼんやり覚えてる
ワンワン泣いて母親に向かって
ひたすら「死にたい」って言ってた。
本当にその部分しか覚えてない。
母の返した言葉とか、全く覚えてない
娘は
『生きていたらそれよりも楽しいことが
きっとあるさ!』
と、自分で考えられたから
乗り越えた今があると教えてくれた。
良かった。
本当に良かった、ありがとう。
最後に涙声になりながら
おかあさんの子どもで
よかったって思う。
あの時も助けてくれて、
話を聞いてくれてありがとう。
ギューと胸に飛び込んで伝えてくれた。
誕生日でも、母の日でも
何でもないタイミングで
溢れる感情のままに伝えてくれる
こんな言葉以上のものは無い。
こんな風に話してくれる関係性を
少しずつでも築けていること
親としてもコーチとしても素直に嬉しい
「死」に対して、冒頭のような価値観を
もったのも、娘が自分の経験から何を感じ、どう捉えたか。
そこから生まれたに過ぎない。
否定も肯定もしない。
今の娘の価値観をただ知れただけ。
これからもお互いの価値観、
家族の価値観を伝え合い
それぞれが否定も肯定もしない
自分を出せる家族でありたいな。
コーチとして生きる。
あの時選択した自分を褒めよう‼︎
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